なかなか世の中の状況も落ち着きませんね。 ということを言う事にも慣れて来たを通り越して少々飽きて来た気もしますが…。 坪内です。
さて、慣れて来たと言うと間もなくまた一つ年齢が上がります。 もう最近は特に何も思わないですし何をする訳でもないですが、 何となく40になったあたりから癖?になってる事がありまして。
ここでも何度か書いてる気がしますが、いいのか悪いのか、やはり歳を取るのが切ないのか、自分でも定かではありませんが「その歳で亡くなった方」をつい調べてしまい「とうとうこの人の歳も超えるのか」と勝手に感慨深くなるというものでして。
今年はプロレスラーの三沢光晴選手に行き当たりました。
プロレスに触れたことがある方は多分知らない人はいないんじゃないかと思いますが、興味がない方は全く知らない人もいるんですかね。
元全日本プロレスのエース・後年はNOAHという団体を自ら立ち上げその社長でもあった、超スターレスラーです。若かりし頃は、社会現象になる程人気が絶大だった初代・佐山聡の後を引き継ぎ、苦労しながらも二代目タイガーマスクとして活躍した選手でもあります。
自分が一番プロレスを見ていたのは10代〜20代前半くらいかと思いますが、まさしくこの頃に大活躍していました。
そのスター三沢(敢えて呼び捨てにしますがすみません)は、11年前の2009年、46歳の時に試合中のリングの上で亡くなられました。
その頃は色々と忙しくなってしまったのもあり、あまりプロレスに触れなくなっていたのでテレビ等でも殆ど観ておらず、その訃報はニュースか何かで知りました。
もちろん驚きましたし、まだ46歳という若さで非常に悲しい事ではあるのですが、自分は何だか「レスラーがリングの上で散るなんてさすが三沢だ」と勝手に美化してしまったとこがあったのも正直なところです。
ただ、今回、同じ歳になる事で没年齢をあらためて知って、もちろん人生の濃さは違うでしょうが、やはり「こんな歳で亡くなったのか、まだまだ色々やりたい事があったろうな」と思うと共に、あまり詳しく知らなかった「どういう最期だったのか?」を調べたくなりました。
最後の二年間くらいは蓄積された体へのダメージでかなり体調も芳しくなかったそうですが、常に波があるプロレス人気の中でもその頃は割と低迷期と呼ばれる時代で、団体の社長でもあることから「自分が試合に出なければ昔のファンが足を運んでくれない」と休まず試合に出続けていたそうです。
そしてある地方大会の一試合で、プロレス技でいうと一番スタンダードな技の一つともいうべき「バックドロップ」という何千何万回と受けて来たであろう技を受けた後、急に倒れたまま起き上がれなくなり、驚いたレフェリーの「動けるか?」という問いかけに「ダメだ」というひと言を残して意識を失い、たまたま観戦していた医師らもリングに駆け上がって懸命な救命措置を施すも思い叶わずそのまま息を引き取っってしまったと。
プロレスって予定調和と取られがちですが、技をかけたり受けたりしてるのは紛れもない事実で、もちろん自分も内部の事を詳しく知っている訳でも何でもないので偉そうには言えませんが「受け身」をそれこそ地獄のように特訓、練習するのは有名です。 怪我をして試合に出られないと元も子もないからです。
しかも三沢は少々過激な技や危ない角度に見えるかけ方の技が流行りだした頃に全盛期で活躍していて、受ける方が上手くないとそれらの技も派手に見えないのですが、その中でも運動神経が抜群で多彩な技を繰り出すのはもちろん「受け身」も素晴らしく上手いと有名だった記憶があります。
プロレスでの「受け身が上手い」というのは、単にダメージを少なくしたりということではなく「きっちり技をくらった上でさらに怪我をしたりしない」という非常に矛盾したとてつもないスキルを持っているという事です。
そのいわゆるプロ中のプロの、さらにトップのような人が、もちろん体調などその他の要因も重なったと言われてるようですが、「バックドロップ」で、しかもそのまま命を落とすような事になるなんて、あらためてこんなこともあるんだなと…。
ですので、この事故はファンの間でもかなりの衝撃と動揺を与えたようですが、 突然、代表スター選手でもあり社長でもあった三沢を失った残された団体選手たちは、想像を絶するショックと悲しみの中、それでも「社長は必ず試合をやめるなというはずだ」という想いのもと、翌日からも大会を中止ぜずに続けたそうで、
そして後日あらためて行われたお別れ会には、約26,000人のファンが集まったそうです。
あるプロレスファンのルポライターの方の記事で、 もうその頃は全盛期のファンはかなり離れていた状況にも関わらずこれだけの人数が別れを惜しんで駆けつけた事に「自分たちがプロレスを見放さずにいたら、三沢が無理に体調を押して試合に出続けなくても良かったかもしれない」という共通の罪の意識のようなものがどこかにあったように思う、というようなことを書いていて、何だか今更ながらですが勝手に自分の胸にも突き刺さりました。
そして三沢にバックドロップをかけ、結果死なせてしまった相手選手。 敢えてここで名前は書きませんが同じく自分がよく見ていた頃から出ていて知っている選手ですが、当たり前だろうと思いますが「もう続けられない」と引退を考えたそうです。 重ねて少なからず心ない非難や誹謗中傷も受けていたようで。
ここからはもしかしたら少々劇的に誇張されて書いてあったりするところもあるかもしれませんが、 三沢は体調がすぐれなかった二年ほど前に知人にある手紙を託していたらしく、それには「もしも俺がリングの上で死ぬことがあったらその時の相手に渡してほしい」とのことで、 「お前は俺のことを信頼して全力で技をかけてくれたのだと思う。それに俺は応えることができなかった。信頼を裏切る形になった。重荷を背負わせてしまって本当に申し訳ない。それでも、お前にはプロレスを続けてほしい。つらいかもしれないが、絶対に続けてほしい」と、もしもの場合、最後の試合相手が罪の意識に苛まれることを見越したような内容が書かれていたそうです。
その手紙を受け取ったのもあり、本人も「俺が辞めたらファンは怒りの矛先を失う」とその選手は試合に出続け、しかしながらどうしても「バックドロップ」だけは使う気になれなかったそうですが、 ある試合中に、突然天井を仰いで許しを乞うように見つめた後、満を辞してバックドロップを放ち見事に勝利。
試合後、ファンに向かって「社長の、もういいという言葉が聞こえました、皆さんすみません、バックドロップ使ってしまいました」と涙声で謝罪したと書いてありました。
やはりちょっと出来過ぎですかね。
でもいいんです。 プロレスは台本があろうが何だろうが、劇的でドラマチックだからこそ面白い。 そして間違いなく命を賭けてそのドラマを作ってるんだと思うので。
今はまた、選手も自分が知らない人が殆どなくらい世代交代もされ、そして新しいファンと共に新たなブームを作っているそうで、女性のファンもかなり増えたとか!
自分は、長州力の一番最初の引退試合(結果その後何度かあったので笑)を、十何年か前?にドームのリングサイド席3万円!で観て以来、生の試合も行っていないので、今回みたいなコラムを書くのも何だかなという気はしますが、また是非機会を作って行ってみたいと思います。
好きなものを貫く、続けるというのは、見る側もやる側も難しいなあとあらためて思いますが、その分何かが確実に残って行くんだなあとも、あらためて感じた今日この頃でした。
そして、おそらくゆっくり休んだりせずに、実現しなかった橋本真也VS三沢光晴のシングルマッチをあらためてやったりしているのでは?と勝手な妄想に浸っています。
いやそれはぜひ見たいなあ…!!
|
Date: 2020/08/24(月)
|