COLUMN




ご無沙汰してます坪内です
コラム書くの本当に久しぶりになってしまいました、皆さま(ここでは)大変ご無沙汰しておりすみません、坪内です。

ご存知の方も多いと思いますが、仲田のこともあり、何か普通に当たり前のことを書こうと思うんですが中々そうも行かず。
次は自分が上げると言っておいてえらく時間かかってしまっていた状況です。
すみません。

まだ色々とご心配いただくことも多く、お気遣い本当に感謝しておりますが、みな元気にはやっております。

元気にはやっておりますが、引きずらずにはいられないのも間違いなく。それは今後もずっとそうですが。それだけ大きな存在でしたので。

個人的にはそもそも「親父の記憶」の時に初めてスケジュールの都合で劇団の公演に出ていないという状況もありまして、最後の共演も叶わなかったもので、その悔しさとか何かもう色々よく分からない気持ちはおそらく消化しようもありません。

ただ、この間も自分は大変ありがたい仕事や舞台はさせてもらってます。一昨日まで本番でしたし、今秋公開の映画もあります。

他メンバーも精力的に活動しています。

座長と高山も間もなく舞台の本番です。山田も(ここで今勝手に書いていいか分からないのでぼかしますが笑)聞いてますし、黒木もまあよくテレビで見ますし、中武は劇団員になってからの年月は一番短いのにほんとに劇団のことを色々とよくやってくれています。

いや元気です。大丈夫です。
これはほんとに。

でもやはり寂しいです。

これと闘うしかないですし、何と言っても僕らなんかより一番悔しいのは仲田本人なのは間違いないですから。

あなたの分まで頑張るなんてちっとも思いませんが、ただまだ一緒に芝居したかったし酒も飲みたかったし、理不尽ですが何か単純に腹が立って来たりします。

というか毎日一回は何か腹が立ってきます。「ナルさんいや何なんすか」と呟くのが日課になって、これが何かもうお経みたいになってるとこもあります。

という、リアルな自分の心境を書くのが良いか悪いか本当に分からないのですが、それが一番何か分かってもらえるのかと思い、と言いつつ、うまくも何ともないし読み返してもよく分からないので大分悩んだんですが、すみません、ほんとそのままダラダラ書いたのを上げてしまいました。お許しください。

でも本当にご心配なく。
仲田育史がいた劇団メンソウルは、今後も仲田の顔に泥を塗らないくらいの根性はありますので。

最後に、先週土曜から劇団のYouTubeチャンネルに新しいショートムービーがアップされてます。
(※黒木と山田が出てませんが、これは二人が別事務所に入ってて仕事のPRにも使いたいもので「その場合若干ややこしくなるから」という単純な理由です!)

本当にみんなで変わらず真剣にバカやってますので見てください。

作品を更新することで、仲田も出てる過去のものも皆さんに観てもらえる機会が増えるのも本当にいいなあと、これは心から思っております。

自分もあらためて第1弾の「川原会議」と第2弾の「セクノンのご提案」を観ましたが、何の寂しさもなくただゲラゲラ笑ってしまいました。

とにかく、まだ具体的にお知らせ出来ませんが次回の劇団公演も含め今後のメンソウルにぜひご期待ください。

締めがよく分からなくなりましたが、皆さま猛暑が続いておりますのでくれぐれもお身体ご自愛ください!

次回は普通におもしろエピソードを書けるよう(というかしばらく全然そんな感じの書けてませんが)アンテナ張っていきます!
Date: 2023/08/01(火)


2023年、初コラムです。
いつも劇団メンソウルを応援して頂き、誠にありがとうございます。

劇団のコラムも随分長い間、更新もしておらず、ご心配をおかけしている方もいらっしゃったかと思います。
誠に申し訳ございません。


既にご存じかと思いますが、劇団創立メンバーである仲田育史が昨年12月17日、第22回公演「親父の記憶」ソワレ公演中に倒れ、そのまま急逝してしまうという大変無念な事態になってしまいました。

自分はもちろん劇団員も相当なショックを受け、代表として何を書けばいいのか分からないというのもありましたが、この事実を振り返ることを怖がり、現実逃避していたのも事実です。
しかし、育史が主役を務め、遺作となった舞台「親父の記憶」を見たいと言って下さる、沖縄のご家族やご友人、また応援して下さる方々に、映像を届けねばとの思いもあり、映像制作の矢ヶ部さんと共に映像の編集を終わらせまして、今日のコラムを書くキッカケとなりました。


仲田育史は沖縄の名護という自然豊かな土地で、愛情溢れるご家族の元で生まれ、とても魅力的な男でした。
人に優しく、恐ろしいくらいの根性があり、お酒が大好きで、仲間思いの、ダジャレが大好きな、ユニークで涙もろい男でした。

自分が出会った時の育史は19歳。
最初にいた劇団の2期後輩という事で知り合い「ずぶの素人ですがよろしくお願いします」と自己紹介をしたのを昨日のことの様に覚えてます。

奥さんはその劇団の育史の同期であり、自分は結婚式の代表挨拶もしましたし、もちろん子供が生まれた時も一緒に喜びました。

役者の中で最も古くから付き合っていた男であり、劇団の創立メンバーであり、一番多く酒を飲んだのも、一番怒ったのも、一番一緒に笑ったのも育史でした。
先輩後輩の垣根を越えて、田舎もんの自分が東京で知り合った中で一番の親友でもありました。

変に思われるかもしれませんが、未だに実感が湧きません。
育史が倒れた時、救急車の中、病院でも、最も近くにいましたが、本当に実感が湧きません。
劇団員と飲んでる最中にひょっこり現れる気がしています。


よく「役者は舞台の上で死ねれば本望」なんて言葉を聞きますが、そんなのは嘘です。
育史はもっともっと芝居をしたかったと思いますし、もっともっと子供の成長に寄り添いたかったと思います。

でも、もし生まれながらに寿命というものが決められていたならば、育史は最もドラマチックな死に様を選んだのかもしれません。
と、思う時もあります。
でも、こんなドラマチックは要らん、と、いつか説教してやります。


今回の事で、自分が最も尊敬する俳優の大先輩からお言葉を頂きました。
「人が亡くなると、残った、生きている者が、この先、どう生きるかが大事だ」
この言葉は自分に、また仲田家にとっても、生きる力となりました。


劇団メンソウル一同、精一杯生きる所存です。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。


「親父の記憶」で支えてくれた客演の皆さん、スタッフさん、関係者、お客様。
またこれまで仲田育史に関わって下さった方々、応援して下さった皆様、心より感謝申し上げます。


劇団メンソウル代表 杉本凌士



追伸
仲田の遺作となった舞台「親父の記憶」ですが、とてもよく撮れている映像で、何より仲田育史の演技は素晴らしいです。
ご覧になりたい方は劇団インフォメーションにて詳細をご確認下さい。
Date: 2023/04/06(木)


ギリギリチョップ
10月となり、日が暮れるのがずいぶん早くなったなと感じる今日この頃。
我が家のベランダを開けると金木犀の良い香りがします。
気温もすっかり涼しくなり、過ごしやすくなりましたね。
皆様、こんにちは!

一番好きなフルーツはキウイフルーツの山田諭です。


早速ですが・・
皆さんの最近の夢は何ですか?


夢といっても、人それぞれ、大小様々ありますよね。
例えば、

「今週のハードな日々を無事乗り切った暁には、スーパー銭湯でも行って、温泉とサウナ、その後お酒をたしなみ、最後にマッサージも施してもらおう」

もしすぐに実現困難の場合、これも一つの「夢」に当たるのではないでしょうか。


・・・


あぁ、スーパー銭湯行きたい…(笑)



さて。
何故急に夢について質問したかと申しますと、
先日テレビにて、ある一家の特集をしていました。

「コロナ禍でリモートワーク主体の生活となり、それを機に都内在住の一家が山梨の別荘を安値で購入。その後DIYにて別荘を次々とリフォーム。家のリフォーム後もご主人のDIYは止まることなく、ツリーハウスやピザ窯、露天風呂、ついにはジップラインまで作成!
都内の家は残しつつも、今は週の半分を山梨で快適に過ごしている・・」


なんて素晴らしいんだ・・羨ましい!
でも別荘買う金なんかない。
・・自分には無縁な話だ。


この時はそう思っていた。


ここで話は20年以上前の、大学時代に遡ります。


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大学1年の春。
自分は大学の演劇部のドアを叩いた。
「何かを始めてみたい」「演技ならば自分でもできるのではないか」という思いで。
何となく目立った方が良いのではないかという思いで、髪の毛を明るめの茶色に染め、そこそこ気合も入っていた…ように思う。
同期の1年生は確か15人。癖が強く、個性派揃いが集った楽しい連中であった。

入部後間も無く、6月の定期公演に先立ち、自分にとっては初の部内オーディションが行われた。
キャスト志望の部員にとって、無事キャストになれるのか、或いはスタッフ側に回るかが決まる大事な闘い。

そう、大事な闘いのはずだった!
しかし・・・

緊張するあまりセリフを噛み倒しまくった僕には、
後日、
「キャスト不合格」と共に、スタッフの「装置」(一般的には言う「美術」「大道具」)への配属が言い渡された。

この部署が「地獄の部署」であることが後に明らかとなる。

何が地獄であったかというと、
みんなが初めて担う、素人メンバーであったと言うこと。
2年生のリーダー(以後「A先輩」)1名と、自分ともう一人の1年生の2名の計3名体制。
何か分からないことがあれば、この方に聞いてくれと言う4年生(以後「レジェンド」)が1人いたが、レジェンドは取得単位数の関係で卒業が危ぶまれる立場であった為、今公演には参加しておらず、なかなか捕まらない・・。
何より、何が分からないかも分かっていない1年生の自分には聞きづらかった。

ならば、代わりにA先輩からレジェンドへ色々聞いて貰いたかったが、彼は全く分かっていないにも関わらず、気高きプライドが邪魔をしたのか、それとも恥ずかしがり屋さんだったのか、何故かレジェンドに聞こうとしない。
それだけならまだ「可愛い」で済む話だが、分かっていないのにそのまま突き進もうとする悪い癖があった。

我々1年生の2人は彼の迷走っぷりに振り回され、
休憩時間もろくに与えられず、
A先輩に命じられ、見よう見真似でようやく作り上げたイスは、演出家からボツと言い渡される始末。
日は過ぎていくばかりで、肝心の舞台セットは全く出来上がらない。
焦ったA先輩はイライラし出す始末。
下の人間にとって、正直彼は最悪の上司であった。


そんな日々を経て、我慢の限界を迎えた自分は、
レジェンドに直接聞きに行き、本を読み、独学で舞台セットの作り方を学んでいった。
同期のキャストメンバーが冷房の効いた稽古場で楽しそうに談笑している中、
自分ともう一人の同期は、野外の作業場にて木くずに塗れ、暑さと雨と飢えに耐えながらも、これまでの遅れを取り戻すべく、時に授業をサボり、舞台公演に間に合わすべく、猛烈に作業に明け暮れた。

A先輩は忙しかったのか、単純に来たくなかったのか、合流する時間が日々遅くなっていったが、我々部下にとってそれは逆に好都合であった。

その甲斐あって、舞台セットは期限内に完成!
大きな問題もなく、公演も無事終了。
今考えれば、決して誉められる代物ではなかったが、自分にとっては忘れられない舞台装置となった。

A先輩はその後、フェードアウトするように部を去っていき、
やがて僕は、「装置」の第一人者となっていくのであったが…。


当時を知る演劇部員で、今でも俳優業を続けているのは自分の知る限り、全学年合わせても片手で数える程度だろうか。
今でも俳優を続けていられるのは、
最初の不合格の悔しさや「装置」での苦い経験が、きっと一つの活力となっているのだと思われる。


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話は今に戻る。


そんなこんなで、ある程度の大工仕事の知識と技術はまあまああるつもりで、決して自分は素人だとは思っていない。

「環境さえ整えば自分にだって…」

そう思っていた。そんな矢先の出来事。


今年の8月。夏休みに帰省した際、
以前から痛み具合が気になっていた実家の居間の床にて、今にも穴が空きそうな箇所がいくつか見受けられた。

「あ、実家をリフォームすればいいじゃないか!」
「こんな近くに手軽にDIYし放題の環境発見!」


だが、
同時に不安がよぎる。


「約50年前に建てられた床の構造ってどうなっているのか?」
「それは本当に自分の手に負える範疇の作業なのか?」


それから僕は「床の張替え」についての情報をYouTubeで調べ、
期待と不安の気持ちが入り混じった中、いざ決戦に向かった。
来たる9月のシルバーウィークを利用し、作業完了期限は4日間と定めた。

予定では余裕を持って終わるはずだった。
しかし、
いざ始めてすぐ、自分はとんでもない闘いを仕掛けてしまったことを知る。


■1日目
 埃まみれになる事を想定し、屋内を軽く養生。
次に、床の最も傷んでいる箇所に試しに穴を開け、構造状況を確認。
ちょっと穴を開けた程度だった為詳細までは分からなかったが、おそらくYouTubeで確認した構造と同じだろうと決め打ち、最寄りのホームセンターで床材を購入。
丸ノコのレンタルサービスも利用。
その後、床をちょっとだけ剥がし、その日の作業は終了。
床下は見え、かび臭い。もう後戻りはできない。


■2日目
 床を剥がす作業が一番の重労働。
この日に全て剥がす予定であったが、床の骨組みと床材が強力な接着剤でくっついており、なかなか作業が進まない。何より力が必要とされた。
知らぬ内に腕には複数の傷ができており、やがて筋肉痛で力が入らなくなった。
過去にぎっくり腰をやっている自分は、腰への配慮をしつつ、予定していた作業の半分程度にとどまり、作業終了。
早くも体は疲労困憊。浅はかだったと後悔した。

そしてこの日の夜、台風が静岡を襲う。
テレビでの警報から始まり、やがて携帯から災害警報音が頻繁になり始める。
23時にふと外に出ると家の前の道路に、小川のような僅かな流れができていた。
そして夜中のAM4時、再び玄関を開けると、家の前の道路は川になっていた。
補修中で剥き出しになった床底には、僅かに水が流れ込んでいた。
これはまずい…。


■3日目
 昨晩の台風、幸運にも我が家に関しては床下浸水でとどまり、床張替え作業には支障をきたさずに済んだ。
でも周りのご近所さんに関して言えば被害も様々で、それを考えると喜ぶ事などできなかったが、
その時の自分には目の前の床補修を完了させるしかなかった。
予定では半分くらい新しい床を敷き詰めてるはずだったが、現実はまだ古い床の剥がし作業が半分残っている。
とりあえず床を全て剥がし、行けるところまでやることに軌道修正。
身体中が痛い。でも代わりがいないから頑張る。
古い床を剥がし終えたものの、新しい床はほんの少しだけ貼る程度でこの日の作業は終了。
間に合わない…。


■4〜6日目
 手には複数のマメ。膝は擦りむき、手首も痛い。  
進める度にコツを掴んでいくが、それでも細かな計測・カット・微調整が度々必要になる。これがまた大変で難しい。
結局作業は2日間延期を余儀なくされたが・・無事床貼りが完成!
そして古い床材等も車に積める長さに切り、無事最寄りの産廃処理場へ。


長い闘いは終わった...。


最終的に手の指10本中6本にマメを作り、満身創痍だった。
僕はよく自分を過信しすぎるところがある(苦笑)
心配された腰はなんとか持ち堪えてくれた。



大学時代、
公務員試験の勉強を途中で挫折。
入学当初目指していた「福祉」の道を大きく外れ、最終的に「役者」の道を選択。
それ以来、親の期待を裏切り続けてきたが、
今回に関して言えば、大学時代と劇団公演で学び培った知識と技術が役に立った。
今回の件で少しだけ相殺させてもらえたらなと、淡い期待を抱いております(笑)



「諦めなければなんとかなる」
自分にとって大きな意味のある経験となりました。



最後に。
今年の12月に控えたメンソウルの本公演。
詳細のアップ後、たくさんの反響を頂き嬉しい限りであります!
ちなみに自分は今回、様々な諸事情により舞台上の出演を控えさせて頂きました。
決してトラブルがあったとか、そのようなものではありませんのでどうかご安心下さい!
ご心配下さった皆様、本当にありがとうございました!!

今回杉本さんの優しいご配慮で、「声の出演」という枠を頂き、今から非常に楽しみであります。
最新作の「親父の記憶」、乞うご期待下さい。
皆様と劇場でお会いできるのを楽しみにしております!
何卒よろしくお願い致します!!
Date: 2022/10/11(火)


News
先日9月20日に安室奈美恵さんが引退して4年経ったというニュースを見つけました。
特にめちゃくちゃハマったという訳では無いのですが、同じ歳という事もあり、勝手に親近感を覚えていました。

スーパースター相手に図々しい黒木俊穂です。
ご無沙汰しております。 

あれだけ暑かったのに、なんだかあっという間に涼しくなりましたね。

夏は裸で寝てるんですが、先日は寒くて目が覚めちゃいました。
かといって服着ると暑くなって寝苦しいんですよね。

加減が難しい。

これだけ急に涼しくなるとなんだか寂しくなっちゃいます。

夏よもう一度。

あれ、そんな事ないですか?
なかなか同意はえられませんねー

さて、そんな今年の夏の思い出。

友人から株分して頂いたサボテンを枯らしてしまいました。

今も引きずってます。

いやー地味な思い出ー。
興味無いよーなんて言わないでくださいね。

確かに昔からよく枯らしてた記憶があります。

上京してすぐに一人暮らしにはお洒落植物でしょ!
と思い購入したベンジャミンというブラッドピットが育ててそうな植物を皮切りに、幾つ枯らしてきたことか。。

その都度凹み、もう育てるのは辞めよう。
そう思い続けて早20年。

2年前に母が上京して、うちに泊まった際にサンスベリアを購入してくれた事をきっかけに、植物との触れ合いを再開。

バリバリコロナ勃発初頭の限界態勢の中、所用で東京に来ていた母。

ウチに帰ったらリビングに蜂が、いや鉢が置かれており、怯んだのを思い出します。

実家では沢山の花を育てている母ですが、まさか東京に来てまで植物を購入してくるとは夢にも思いませんでした。

今までは自分で購入したから枯らしたとは言いたくないですが、どこか責任感の薄かったのは否めず。

『がんばってそだててねー』
何て、宮崎を出てからの私の生き様を知らない母の気楽な一言が重くのしかかりました。

今回こそは、母からの試練と思いつつ、ネット情報を駆使して今日まで無事育てて参りました。

そして迎えた2022年春。

そんなサンスベリアを育てている事を聞きつけた、多肉植物を愛する友人から譲り受けたのが、例のサボテン。

親サボから離れた時はこの様な運命になるとは思いもしなかったでしょう。。

初心者向きと言われるサボテン。

なかなか枯れない植物トップ3には必ず入るだろうサボテン。

ズボラで面倒見の悪い奴しか枯らさないと言われるサボテン。

いやいや、大事にしてたのよ。。

すくすく育ってたはずなのに、、

『水は多くあげるな』が合言葉の通り、水は控えめにしてたのに。。

同じ多肉のサンスベリアは平気だったのに、、

『夏場は割と多めにあげても構わない』
『大きくしたかったら水はあげないといけない』

なんて、言われたもんでいつもより気持ち多かったかもしれない。

事実、いただいた時は2、3センチだったサボテンがこの夏場だけで倍にはなってました。

『大きくなったなー』
『俺も植物マスターやなー』
と思っや矢先に、
ふと見たら斜めになっておりました。

鉢が小さくなったのかなーと思い見てみると、、

生え際?のところが茶色くなってるではないですか!

ええー!
サボテンは古今東西緑でしょー!

触ってみると脆くも歪むサボ。

速攻ネットでチェック。

触ってブヨブヨしてたら腐ってます。
水をやりすぎると腐るので気をつけて。

まじでー!

復活させようと薬を散布したり、乾燥させたりと奮闘しましたが、カピカピになって終了。

難しいよ。
いや、難しすぎるよ。

めちゃ簡単に枯れるやん。

水のやりすぎは、ズボラとは正反対でしょ。


色々心の中で言い訳を考えながら、株分してくれた友人に枯らした事を伝えました。

『まあ、また増えたら分けますよ!』

優しい。。
ありがとう。。
次こそは。。

まずは、母のサンスベリアは死守します。 


さて、冒頭の安室奈美恵さんの引退日の話に戻るのですが、9月20日にもう一つニュースが上がりました。

http://g-mensoul.jp/mensoul_blog/

遂に出ました。

乞うご期待でございます。


因みに、『ニュース』は英語だと『ニューズ』と濁ります。




Date: 2022/09/22(木)


サマーメモリー。
皆さん、どうも!!!

最近まで検査キットの事を、ず〜っと検査キッドと呼んでいた高山です。

キットとキッド。

濁点が付く、付かないで、どエライ違いです。


キット
⚫︎模型・機械などの組み立て材料
⚫︎ある目的のための道具一式


キッド
⚫︎子ヤギ
⚫︎子ヤギの皮
(薄くて柔らかく、光沢があり、衣類、手袋、靴などに用いられる)


本当にえらい違いです…。
相変わらず、ぼーっと生きております。
これでは、チコちゃんに怒られます。


それはさておき、夏ももうあっという間に終わってしまいましたね。
(まだまだ暑いですが…)


皆さんは、どんな夏を過ごされましたか?


わたしは久しぶりに地元に帰れまして、なんだか、地元の良さをまったく分かっていなかったな〜と痛感した夏でした。
私の地元はと言いますと、熊本県山鹿市という場所でして、まあまあ歴史も古く宿場町として発展した土地でもあります。
なので、温泉も結構有名で、今でも県外から沢山お客さんが山鹿の温泉に入りにいらっしゃるんですよ。


そして、この山鹿市には江戸時代の参勤交代にも利用された豊前街道が通っていて、その街道沿いに「八千代座」という立派な芝居小屋もあるんです。


八千代座とは、

明治43年、商工業で栄えた山鹿の旦那衆が八千代座組合を創設。
一株30円の株を購入し建てた芝居小屋。
こけら落としは同44年1月で、歌舞伎の松嶋屋総勢91人による興業だったそう。
当時の記録を辿ると、なんと、松井須磨子、岡田嘉子、長谷川一夫、片岡千恵蔵ら錚々たる名前を見ることが出来る。
八千代座は大正から昭和初期にかけて、当代一流といわれる芸能人の熱演を多くの人々の心に深く刻み込んできた場所。

興味持たれた方は是非、検索してみてください!

本当に素敵な場所なので!

自分もいつか、この舞台に立って、お芝居がしたいものです。
精進せねば。


そして、温泉。
豊前街道下ったところに、「さくら湯」という温泉があります。
ここも歴史は古く、1640年(寛永17年)の江戸時代からその元があったとか。


帰省して感じた事の一つ。
地元民は、お風呂が長い。
1時間〜2時間入ってる事はザラで、自分も久しぶりに長風呂しました。

知らない方は、「そんな長時間入ってられるの?」とか「何をして過ごせばそうなるの?」と思われますが、地域の方々と何気なく喋ってたり、また山鹿の温泉は少しぬるめのお湯なので、1人でぼ〜っと浸かってても長時間いれるものなんです。

それにしても、私の生まれ育った地元も、自分自身が子供だった頃に比べると、なんだか静かになってしまった印象です。
まあ、そりゃそうですよね。
子供の数も違いますし、昔はこわいおじさんで有名だった人も久しぶりに会ったら、穏やかなおじいちゃんになってて、月日の経過をものすごく感じました。

廃校になってしまった小学校も増え、商店街も跡継ぎがいない等で空き家になってしまったり、地元が抱える問題にも直面出来、自分はどうすればこの地元に恩返しできるだろう?と自問自答しております。

離れてみて気付いた事、離れなければ分からなかった事、生まれ育った場所って本当に不思議ですよね。

まあ、地元の心配より、自分の心配しろって状態ですが(笑)

田舎で久しぶりに過ごした夏は、最高でした!

姪っ子、甥っ子と、セミやザリガニ取りに行ったり、一緒にサッカーしたり、子供はエネルギーに溢れてて、こっちまで沢山パワーをもらいました。


ただ一点、1番の衝撃だった事があります。
久しぶりに実家に帰り、部屋をあさっていたら、なんと小学四年生の時の文集が見つかったのですが、そこに、


4年2組
高山陽平


好きな教科 「走る」

……。

馬鹿です。
昔も今も、バカです。
相変わらず、言葉を理解出来ていません。
自分自身にドン引きです。


将来の夢は……「お笑い芸人」

……

え…、

そ、そんな、バカな!?


そんなはずは………


自分の中では、ずっとプロ野球選手だったはずなのに、何故?ナゼ?

記憶を一生懸命辿りますが、どこの引き出し開けても出てきません。
記憶が見つかりません。

でも、きっと誰かを笑わせるのは嫌いじゃなかったはず!
ただ、バラエティーやお笑い芸人さん、お笑い番組、そんなに見てこなかった人間ですし、いつの頃からか恥ずかしがりになり、現在は面白センス皆無でございます。

しかし、この時の私はきっと本気でそう思ってたから書いたに違いない!

地元に帰れた事で、今一度、大切な気持ちが蘇ったような気がしてます!

小学4年生だった、オレ!
若干違うけど、少しでも人を笑顔に出来る大人になれるよう、本当頑張るよ!!!

よし、まずは王道ですが、落語の勉強から始めます。
Date: 2022/09/05(月)


きたくん
色んなことが目まぐるしく通り過ぎる中、こうして自分の言葉を書くことが出来る場所があるのは有り難いなぁと感じながらコラムを書いています中武です。

7月も半ば。
梅雨は明けたのに梅雨みたいな天気が舞い戻り明日はどんな日になるのだろうか。

自分の事に精一杯になっていると、なかなか外に目がいかなくなりますが
こうして土砂降りの雨を目の当たりにすると嫌でも外の世界を感じざるを得ません。

そんな中、ぼくはふと立ち止まり楽しかった学生時代のことを思い返しました。

鹿児島県の川辺町という田舎町で育った自分は、中学生になると当たり前のように女の子を意識し、『僕』って言っていた友達が急に『俺』になりはじめ、先輩や友達がどんどんヤンキーになっていく
そんな目まぐるしく変わっていく時代にうまくついていけなかった側でした。
すぐに客観視してしまう癖があり変わってしまう自分がなんだか恥ずかしかったのです。

恋愛話はもちろん苦手でしたし、ヤンキーの先輩はただただ恐かったです。

中学2年の夏休み。
ぼくは恋愛もせずヤンキーにもならず部活動でサッカーに励んでいました。(サッカー部には恐ろしい先輩が多かった〜)
ある日の部活終わり、先輩から何か分からないけど目をつけられてしまい「今日はオクト1人で掃除のトンボがけしろ。みんな手伝わなくていいから」となってしまいました。
この何か分からないど、と言うのがミソでありこの時期は何か分からない事が沢山渦巻いていたような気がします。

先輩はもちろん、後輩も同級生も帰り支度しなくてはならない空気になり、ひとりでサッカーグラウンドをトンボがけしていました。ただでさえ広い広いグラウンド。
そのグラウンドがもっと大きく巨大に見え、カンカン照りの真夏が突然土砂降りになったような気がしました。

「もうダメだ〜なんか泣いちゃいそう。でも泣いたらもっとみっともないぞ。でも〜でも〜」なんて頭の中を駆け巡らせていると、ひとりの同級生が周りを顧みず僕にも声を掛けずただただ黙々と手伝い始めてくれたのです。一瞬だけ彼のまっすぐな眼差しと目が合いました。

その瞬間とても悔しく寂しく息苦しい時間が、スッと手を差し伸べてくれた彼のおかげでもう逆転です。
何か分からない涙が溢れ出て、前がまったく見えなくなったのを今でも覚えています。

長くなってしまいましたがこんな時代だからこそソッと手を差し伸べられる人になりたいなと、そう改めて思いました。

ちなみにこの思い出も今ではとても楽しい思い出のひとつなのです。
みんな今頃なにをしているのかなあ。
またいつか会えたらいなぁ。
そんな事を考えるとこれからも頑張れそうです。

という事で、次回の本公演で皆さまにお会いできるのを毎日楽しみにしています。

ありがとうございました。

中武億人
Date: 2022/07/16(土)


メンソウ・ラ!
まだ6月なのにアホみたいに暑い日が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
体調など本当にお気を付けくださいね。

お陰様で何とか元気に過ごしております、坪内です。

こんなご時世…とまだ言うべきかどうか分かりませんが、ありがたいことに最近も劇団メンバーそれぞれ色々とドラマや映画などにも出演させていただいており、自分も、現在も上映中の「きさらぎ駅」という映画を始め、ドラマでは「しずかちゃんとパパ」というとても素敵な作品や「逃亡医F」では最終話の非常に緊張感のあるシーンに出させていただいたり、そしてそして座長杉本が大活躍しておりますスーパー戦隊シリーズの「ドンブラザーズ」にも、長年の特撮好きからすると念願の夢叶う!という感じで初出演させていただいたりしました。ありがとうございます。(ドンブラに関しては座長がまだまだ目が離せない役どころで出演中ですので是非引き続きご覧いただけたらと!)

近日中もまた他メンバーや自分も含め見ていただけるものあると思いますのでそれはまた追って劇団HPやSNSなどでお知らせさせていただきます。

で、ですね。
こういう機会にというのもなんですが、ちょっと考えていたことがありまして。

うちもですね、劇団のyoutubeチャンネルがあるんですよ。
現在、最新作の「セクノンのご提案」そして前作「川原会議」という劇団オリジナルショートムービー&杉本・坪内のコント公演時のひとネタ(これ結構いまだに評判いいんですよね笑)という動画をあげさせてはもらっておりますが、せっかくなんでね、何かこれをもうちょっと動かせたりしたら良いのかなあと。

ただ、何がしかの動画作品をしょっちゅう上げるというのも、世の中のユーチューバーの方々は本当凄いなあと思いますが中々のハードルですし、さて何が出来るかなあと考えてまして。

いつの間にかぼちぼち2年になりますが、現在ラジオ番組をやらせてもらってるのもあり、そろそろ要領なども身に付いて来ているのでは?という勘違いもあって笑、ちょっと劇団ラジオ的なものをやってみるのはどうかと。

誰が喜ぶのか?は置いておいて笑、いやですね、劇団も20年くらいにはなりますが、あらためて、結構うち、おもろメンバー多いと思うんんですよ!座長の数多のすべらない話はもちろんですが、なんかちょっとそういうね、基本的には役者の集団なんで作品等では中々見れない、メンバーの裏話というか素顔というか、このコラムなんかではかしこまって出てこない話なんかも掘り出せたりしたらちょっとおもしろいかなあとか思いまして。

すみません、ほんと誰が喜ぶのか?は一回置いておきますが笑

後はぶっちゃけ言うと、個人的にはこのコラムで書くネタが全然出てこなくなってしまって何か良い方法をと模索して捻り出した案というとこも正直あります。

とにかく!

ということで、しばらくは探り探りの感じになると思うのと、毎回10分くらいの感じかと思いますが、週1くらいのペースで、「劇団メンソウルのYouTubeラジオ(仮)」的なものを、劇団のユーチューブチャンネルに、7月頭位からあげていこうかと思ってますので、興味を持っていただける全国7〜8人のメンソウルファンの皆さまは良ければ聴いてみていただけると幸いです。

チャンネル登録はこちら!
↓↓

※追記&修正
と、ここに劇団YouTubeのURLを載せておりましたが、現在7月中旬くらいですが、その後色々と検討した結果、既存の劇団チャンネルではなく、別にサブコンテンツ用?みたいなチャンネルを新たに作ってそこにアップして行こうとなりまして、「mensoul_cannel」という名前のものを立ち上げてそこにアップしております!

ですのであらためてURLはこちら!
↓↓↓
https://www.youtube.com/channel/UCsAgybc5WmhimQP4UptsriQ

変わらずここでのリンクの貼り方が分からず、「コピペ」的なことをしてもらわないとなんですがそこだけほんとにすみません…。

何とぞよろしくお願いいたします!
Date: 2022/06/30(木)


ナンクルなるさん☆

生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。

転ぶたびに起き上がり続けることにある。

南アフリカ共和国 第8代大統領
〜ネルソン・マンデラ〜

昨日は、次男が通う中学の運動会だった。

前日の大雨から一転、見事な五月晴れとなり、無事、開催された。

実は次男の運動会を観るのは、2年ぶりとなる。

昨年はコロナのせいで〜と言いたいところだが、コロナ禍なりに、次男・小学校最後の運動会は滞りなく行われていた。

次男は風邪をひき、休まざる得なくなった…ということになった。

つまりは仮病だ。

運動会の徒競走やリレーのたびに、練習時から本番終了するまで、仲田くんのせいで〜と言われたり、痛い視線を感じてきた6年間、彼にとっての苦肉の防御策。

股関節に少し障害のある次男にとって運動会やらスポーツ大会などは、本人曰く
『地獄』らしい。

去年は、練習の時から見学やら欠席などしていたくらい。

今年はその『地獄』に対して、開き直ったのか、腹を括ったのか、又は内申点を気にしてか、現状を受け入れた様で、苦手だけど今年からはちゃんと体育やるんだ、と仲良しな友達に言っていたらしく。

宣言通り、体育の授業をちゃんとこなし、運動会当日も、最後まで諦めず走り抜け、大縄跳びも乱れず飛んでいた。

贔屓めに見ても、たぶん学年1、遅かったかもしれない。

けれど、懸命に走るその姿は、懸命に跳ぶ姿は、とてもカッコよく、逞しく、成長を感じ感動した。

新学期すぐの三者面談で、担任の先生が、次男に向かって、今まで運動会では辛い思いをしてきたかもしれないけど、この学校は、皆んなで助けあって、補い合ってするから大丈夫だよ!逆に、美術や音楽とか得意な時に苦手な人の力になって〜みたいなことを言われたらしく。
実際、次男のハンデについて、揶揄したりする子達もいないようで。

おかげ様で担任の先生にも、周りの級友達にも恵まれて、なんとか次のステージにステップアップした次男。

徒競走でスタートする時の映像をアップにして見返すと、めちゃくちゃ手が震えてるのが分かり、あの時、戦ってたんだなぁと改めてグッときた。


生きてるだけで丸もうけ。

〜明石家さんま〜

今年になって自分は、例年にも増して、映像のお仕事をさせて貰っている。
これも、有能なマネージャーと多才な座長のおかげであり、ここまでやりたい事を続けさせてくれている家族や劇団の仲間達のおかげでもある。

これまで艱難辛苦しながらも、諦めず続けてきたからこその今。

生きてこそ。

まだまだ道の途中で、さんまさんのような達観した境地には遠く及ばないけれど、
コツコツ、しぶとく、つまづいても、不恰好でも、前に進みたいなぁと、47回めの誕生日に気を引き締める。
父ちゃん・母ちゃんにあらためて感謝を。

ありがとうね。

土曜・日テレ22時〜『パンドラの果実』観てね〜‼︎〜という話。
Date: 2022/05/29(日)


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